“常紋トンネル:日本最恐の心霊スポットへの冒険ガイド”

心霊スポット

常紋トンネルへようこそ!

皆さん、こんにちは!今日は、日本最恐と評される心霊スポット、常紋トンネルについてお話しします。この記事を読んで、あなたも常紋トンネルの魅力に引き込まれること間違いなしですよ。

常紋トンネルの歴史

常紋トンネルは、北海道の厚岸町と根室市を結ぶ国道44号線に位置しています。このトンネルは、昭和40年代に開通し、その後、新トンネルの開通に伴い、旧常紋トンネルとして閉鎖されました。その後、心霊スポットとして名高くなりました。

常紋トンネルの怖い話

常紋トンネルの怖い話は数多くあります。その中でも特に有名なのが、トンネル内で女性の声が聞こえるというものです。また、トンネルの出口に向かって歩いていくと、なぜか出口が遠ざかっていくという不思議な現象も報告されています。

常紋トンネルへの訪問ガイド


 生命と人権のうめき声を聴く北海道の北見盆地に入る三本の鉄道は、三本ともその入口にあるトンネルを通り抜けなければ北見盆地にたどりつくことはできません。
 その三つのトンネルの中でも最も長いのが、旭川からの列車が通る石北線の常紋トンネルで、507メートルの長さがあります。
 常紋とは、常呂郡と紋別郡との郡境にある山の名まえで、トンネルの前後の勾配がきつく列車はあえぎながらトンネルを登ります。
 かつては、デゴイチと親しまれた蒸気機関車D51を三つも連結し、常紋トンネルを登る機関車の姿は、多くのSLマニアにとってシャッター・チャンスを逃すことができない被写体でした。
 さて、今からおよそ80年前、大正3(1914)年から3か年間にわたる難関工事の末完成した常紋トンネルには、できた当初から奇妙なうわさが立ち、地元の人々の間でささやかれておりました。

破(一)
 


 氷雨降るある日の夕方、いつものように蒸気機関車が、あえぎながら真っ暗な常紋トンネルに入ると、「あっ、危ない!」、突然機関車の前に頭からダラダラと血を流した男が立ちはだかっていたのでした。
 機関士は、あわてて急停車し、すぐさま機関車から降りて調べてみたのですが、あたりには人っ子一人おりませんでした。
 何かの見間違いかと思った機関士は、再び機関車を走らせ、しばらくすると、また、あの血だらけの男が立っていたのです。
 その機関士は、再び急停車するのですが、その男の血だらけの形相が目に焼き付き離れず、とうとう目をつむったまま、機関車を発車させることができなくなってしまったのです。
 そしてとうとう、後から来た列車の機関士がかわって動かさなければならない事態に陥ってしまったのです。

破(二)
 


 話は、常紋トンネルだけではありません。
 トンネルの近くにある常紋駅にも奇妙なうわさが広まっておりました。
 常紋駅に勤めると、しばしば本人や家族の者がノイローゼになったり原因不明の病気にかかったり妙なことが起こりました。
 また、ある駅員の奥さんが何の前ぶれもなくトンネルの中で列車に飛び込み、自殺するという痛ましい事件も起こりました。
 常紋トンネル付近では、多くの人々が何やら低くて息苦しそうな、うめき声のようなものを聞くこともあったと言いますし、近くの山に山菜を採りに入った人々が草むらの中で人の頭蓋骨や手足の骨など骸骨に足をとられることもあったと言います。

破(三)
 


 常紋トンネルには幽霊がいる。常紋トンネルはたたられた。
 常紋トンネルはうめしや。
 幽霊たちはここかしこ、寂しく野辺をさ迷い歩く。
 ろくな飯を食わせてもらえず、栄養失調で死んだのはおいらさ。
 病にかかると用無しと、生きたままセメント樽に投げ込まれたのはおいら。
 わが屍は葬られることもなくトンネルの壁に塗りこめられたのはおいら。
 そんな地獄を逃げ出すが、やがて捕まり頭をかち割られたのはおいらさ。
 そんな幽霊たちの正体は、危険・困難・難関工事、安くて手軽に使い捨て。
 かつてこの地で働いた囚人労働者たちの悲しき末裔。
 よそでだまされ雇われた「タコ(他雇)」労働者たちのなれの果て。
 そんな百数十体の魂は、常紋あたりで「姿」を現す。
 恨み辛みの魂は、うめき声をあげずにはいられない。
 そんな彼らの魂たちは、時空を超えて訴えた!

 


 昭和46(1971)年、土地に生きる人々は、非業の死をとげた「タコ」労働者たちを慰霊するために「歓和地蔵」を建てました。
 それから3年後から、地元の中学生や高校生、大学生、教師と市民とが、数回にわたって浮かばれない彼らの遺骨と魂とをさがすべく、トンネルの内外を発掘し、やっとの思いで数体の遺骨を掘り当てたのです。
 生命と人権とを紙切れの如く、棒切れの如く扱われ、人柱となったあの「タコ」労働者たちのさ迷える魂を人々は手あつく葬ったのです。
 以来、常紋トンネルにまつわる奇妙なうわさは消えました。
 めくるめく時の流れの中に生きる私たちが、いつか、あの四季折々の北海道を旅することがあったとき、光輝く大自然を観光するだけではなく、土地と人々の光と陰を観るというもう一つの観光をこそしたいものです。
 そして、今、平和と安全の中に生きる幸せに胸を撫で下ろすだけではなりません。
 日本のどこかしこに、地球上の東西南北、いまださ迷える魂を抱く人々がいることに目を向け、耳を傾けたいものです。
 新たな幽霊たちをもうみ出さぬために...。

 


【囚人労働者】 明治時代、北海道の開拓をした屯田兵(1874-1899)の話は、歴史の教科書にもよくでてきます。しかし、その屯田兵では足りない分、安くて手軽で使い捨てにできる、鎖につながれた囚人労働者が使われた話は、あまり耳にしません。この囚人労働者は、1894年に廃止されました。したがって、常紋トンネルには関わってはおりません。

【「タコ(他雇)」労働者】 囚人労働者にかわって使われたのが、「タコ」労働者です。囚人労働者のように、鎖はありませんでしたが、暴力とリンチでつながれ、厳しい労働させられ、夜は鍵のかかる「タコ」部屋に寝かされました。いったん、入ったら出ることのできない蛸壺のように恐ろしい世界でした。蛸壺に入った蛸が自分の手足を食べて生き延びるように、「タコ」労働者は自分のいのちを削って生きるしかありませんでした。そして、人々から差別・偏見の目で見られる人々でもありました。一説に、本州などのよそからだまされ雇われることから「他雇」と呼ばれることもありました。

【「序」「破」「急」】これは、日本が世界に誇るべき古典芸能の一つ「能」「狂言」の劇構成の区分を意味しています。「序」1段と「破」3段と「急」1段の5段構成になっています。

参考文献
 


◆オホーツク民衆史講座編(1978)『民衆史運動 その歴史と理論』徳間書店

◆歴史教育者協議会第33回全国大会実行委員会編(1981)『民衆史を掘る』現地見学しおり◆小池喜孝(1982)『北海道の夜明け 常紋トンネルを掘る』国土社

◆常紋トンネルホームページ(リンク集参照)http://www.okhotsk.or.jp/asakashi/index.htm〔付記〕筆者は、今から丁度20年前、1981(昭和56)年夏、釧路空港に降りたち、道東を中心に阿寒・摩周・網走・北見・旭川等、12日間にわたる北海道民衆史の旅をしました。北海道の大自然を満喫しつつ、アイヌのエカシ(長老)山本多助さんや日本に30数名しかいない少数民族ウィルタのゲンダーヌ(日本名:北川源太郎)さんを訪ねたり、囚人労働者の鎖塚や強制連行された韓国・朝鮮人労働者たちの慰霊碑、そしてあの「常紋トンネル」を訪ねたりの旅でした。「常紋トンネルの幽霊たち~生命と人権のうめき声を聴く~」

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常紋トンネルと中学生’75
 


 1975年6月29日の第三回発掘調査に参加した中学生の中に、生田原中学の生徒、丸山純恵さんがいる。

 純恵さんは、つぎのような感想文を寄せた。後半だけ紹介する。

 「…友だちとふざけながらも『出てくるかこないかわからないのになぜ掘るのだろうか…何のために掘るのだろうか…』と問いつづけた。(中略)最後に集会場にもどり報告集会を開いた。意見・感想の中から『年齢の差があるのに、みんなでひとつのことをするのはすばらしい』という意見があった。私もそのとおりだと思った。帰りの汽車の中で私は山を見た。小雨の中なのに、山の緑はあざやかに目に映った。私は六十数年前を想像した。あたりは一面真っくらやみの中を数人の男がスコップと、血みどろになっている男をかつぎ、山の中へ入っていく。ザクッ、ザクッと土を掘り、かついできた男をほうりこむ。男たちは足ばやに去ってゆく。あとには土の中から傷だらけの男のうめき声が聞こえる。その声もだんだん小さくなってゆく。いくら警察の目が届かなかったとはいえ、このようなひどいことがあって良いのだろうか。私たちの住んでいる北海道には、こういう事実があったということを、誰も忘れてはいけないと思ったとき、なぜ掘るのかという疑問が消えた」と。

 この丸山純恵さんと一緒に参加した中学生に、井上景子さんがいる。
 この年の11月に親子で北見菊まつりをみた景子さんのお母さんからメモが届けられた。

 「…お地蔵さまの前を汽車が通ると景子の話を聞いていた妹の道子(小四)と純子(小三)が席を立ちました。何をするのかと思っていると、お地蔵さまの方へ向かって二人して手を合わせて拝んでいました。私は胸がしめつけられる思いで見ていました(中略)」。

 これらの中学生の変革の姿は、感動的でさえある。

 

常紋トンネルへの訪問は、自己責任で行うことを強くお勧めします。また、トンネル内は非常に暗いため、懐中電灯は必須です。さらに、心霊スポットとしての常紋トンネルを訪れる際は、周囲の環境に配慮し、ゴミなどは持ち帰るようにしましょう。 以上、常紋トンネルについてのガイドでした。この記事が、あなたの心霊スポット探訪の参考になれば幸いです。次回も、日本各地の魅力的なスポットをご紹介しますので、お楽しみに!

この記事はきりんツールのAIによる自動生成機能で作成されました

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